一丁目のメメント・モリ
実家の居間は2Fにあって、そこで座椅子に座ってTVと向かい合わせ、
外で音があると、横を向いて窓からギョロッと見る。 父は、お爺ちゃんは監視塔にいるみたいだと話していました。 一丁目の平和を守っていた。僕にはそう見えました。 そんな義祖父が最期まで 勁烈であったと思い知らされた事柄です。 怖かったといえども、気性が激しい人ではなく おだやかにしているのですが、何か圧力を持っている人でした。 また、義祖母と同じく、戦争を乗り越えた人。 自分も空襲で足を負傷して、その傷からウジが湧き イカダで川を下り、逃げ延びた話を聞いた事があります。 僕ら世代とは比べようもないぐらい、死が間近に居たのだと思います。 その為なのか何があっても、動じた事を見た事がない。 逆にみんなが大笑いしてても、クスッと笑うだけ。 クスッとって言っても、そんなチャーミングなものでもなく なんと言うんでしょうか、鼻で笑うってやつです。 ニヒルなお爺さんでした。
「わし、死にまへんねん」 生命保険の営業に来た方を追い返した言葉です。 その時は、僕は横にいて笑ったんですが、死んだじゃねーかよ。 若い時の話をしている時、たびたび出てくる「うどん屋の息子」さん。 そのうどん屋さんの息子さんと仲がよくて、 よくご馳走になってた事をよく話してくれてました。 彼と仲がよかったから、うどんをご馳走になっていたのか、 うどんが食べたかったから、彼と仲良しにしていたのか.... 結局、お爺ちゃんから聞けないままですが それぐらいその「うどん屋の息子」さんは、話に登場します。 ある日、いつものようにニッコリ話してくれる時がありました。 「そのうどん屋の息子とやな。海にお遊びに行ったんや」 「うんうん」 「飛び込みして遊んでたんよ」 「うんうん」 「何回も飛び込んで遊んでてなぁ。たのしゅーてなぁ」 「うんうん」 「あのうどん屋の息子もやってて、何回目かで浮かんでけーへんかったんよ」 「え?」 「なぁ.....」 「え!!うどん屋の息子さん...それで?」 「ははははははは。これからうどん食われへんくなるわ思てな」 笑い事やあらへん。 うどん屋の息子さん。 それで亡くなってますやん。 実家の居間、窓際の特等席。 お爺ちゃんはその日も窓を睨み付ける。 人の生の向こうに何を見ていたのか。 今では憶測でしかお話しできません。
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