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赤の深淵、黒の純真

  • 2月9日
  • 読了時間: 13分

大阪・西心斎橋。

喧騒を切り裂くビルの6階、扉が開いた瞬間に立ち現れるのは、

日常を拒絶する「赤」と、すべてを飲み込む「黒」の境界線だ。

ここは、単においしい酒を出す場所ではない。


14席という限られた場所に向き合う一人のデザイナーが、

これまで培ってきた視点とこだわりのすべてを注ぎ込み、

日々を戦う大人たちのために用意した「現代のシェルター」である。


なぜ、僕はあえて「会員制」という不器用な壁を築くのか。

なぜ、黒を纏い、赤を背負うのか。

「そんな細かいことより、もっと楽に飲ませてくれ」そう言いたいのもよくわかる。

しかし、己の「個」を研ぎ澄まそうとする、すべての孤独な者たちへ贈りたい。

扉の向こう側で僕と共に「夜」を共有する、

今見てるあなたに、この言葉を届けたい。




プロローグ:西心斎橋の6階、扉の向こう側に流れる時間


夜、僕はいつものように、大阪市中央区西心斎橋2-4-8、

大㐂ビルのエレベーターに乗り込む。

1階の喧騒が扉に遮られ、数値が上昇するたびに、意識は日常から切り離されていく。

6階で扉が開くとき、そこには僕と、もう一つの店舗だけが共有する、

わずか数メートルの静寂の廊下がある。

この6階という踊り場は、不思議な場所だ。

下のミナミの街が吐き出す熱気も、ここまでは届かない。

僕はこの「2店舗だけのフロア」という贅沢を、2026年の今、改めて噛み締めている。

奥手の新しく入った隣の店の賑わいが微かに漏れ聞こえてくるだろう。

それはそれで、この街の健全な生命力かもしれない。

しかし、僕は手前にある、あの重厚な扉に手をかける。

その扉の先にある9坪の場所こそが、僕のすべてであり、

デザインし続けてきた「nextHome」だ。



昭和51年に生まれ、バブルの残り香と、その後の冷え切った時代をデザイナーとして生き抜いてきた。

実力はあるが営業力はないと自嘲しながら歩んできた歳月の中で、僕は一つの真実に行き着いた。

喧騒の街に打ち込む「楔(くさび)」のような場所が、今の時代には必要だということだ。


なぜ今、僕は再び「赤と黒」を語るのか。

それは、情報の洪水の中で「自分」を見失いそうになっている人々のために、

揺るぎない色の境界線を引き直すためだ。

僕の背後にある、あの吸い込まれるような赤い壁。

そして僕が身に纏う、「黒」。

この二つの色が織りなすコントラストは、単なるインテリアやファッションの選択ではない。

それは、人間の剥き出しの情熱(赤)と、

それを静かに受け止める沈黙の意志(黒)の対話である。


僕はこれから、この空間に込めた思想を一つずつ紐解いていこうと思う。




黒の純真:反骨という名の纏

深夜、西心斎橋のカウンターに落ちる影を眺めながら、僕はいつも自問する。


「僕は、自分自身の意志でこの服を纏っているだろうか?」


現代は、アルゴリズムが「正解」を提示し、誰もが流行という名の透明な制服に身を包む時代だ。

平均的であること、目立ちすぎないこと。

その心地よい均一化の中で、かつて衣服が持っていたはずの「牙」が抜かれていく。

そんな時代の流れに背を向け、僕が身に纏うのは Yohji Yamamoto の「黒」だ。

だが、この黒のルーツを辿れば、遥か1940年代、

アメリカの街角に響いていた不穏なジャズと、過剰なまでの布地に辿り着く。



ズートスーツ:抑圧に対する「過剰さ」という名の宣戦布告

1940年代、第二次世界大戦下の物資不足により、布地を節約することが「愛国心」とされた時代。

その真逆を行くように、アフリカ系やメキシコ系アメリカ人の若者たちは、

極端に長く、極端に太い、過剰なまでの布を使った「ズートスーツ」を纏って街に現れた。

彼らにとって、布をふんだんに使うことは単なる贅沢ではない。


「自分たちは、ここにいる。お前たちのルールには従わない」という、

マジョリティに向けた叫びのような自己主張だった。



効率や合理性が正義とされる世の中で、あえて「無駄」を愛し、そこに美を見出す。

その姿勢は、法を犯してでも守り抜きたいプライドだった。

この「異形」であることへの誇りは、数十年後のパリで、別の形となって爆発する。



ヨウジヤマモト:「黒の衝撃」が切り裂いた既成概念

1981年。パリのランウェイに、山本耀司が送り出したのは、

穴の開いたニット、切りっぱなしの裾、そして全身を覆い尽くす「黒いボロ」のような服だった。

当時のモード界が信奉していた華やかな色彩やシンメトリー(左右対称)の美意識を、

彼は「黒」という一色で、完膚なきまでに破壊した。



その服には、体を締め付けるコルセットのような意図はない。

むしろ、布と体の間に「間(ま)」を作り、着る人の肉体を守るような優しさがある。

媚びない、飾らない。ただ自分としてそこに存在する。

その潔さは、ズートスーツの若者たちが持っていた「異形な主張」と「静かなる拒絶」だった。



哲学としての「黒」:K=100の先にある「受容」

グラフィックデザイナーとして机に向かうとき、僕は「K=100」という数値を扱う。

だが、現実の世界に存在する黒は、そんな単純なものではない。

黒は、すべての光を飲み込み、混ぜ合わせた果てに辿り着く終着点だ。

それは「僕はあなたの色に染まらない」という断固とした拒絶であると同時に、

「あなたの感情のすべてを受け止める」という究極の受容でもある。


僕は影になることで、逆説的に、

カウンターに座るお客様一人ひとりの「色」を浮き彫りにしたい。


僕はあなたの邪魔をしない。だから、僕の邪魔をしないでくれ。

僕はあなたの邪魔をしない。だから、あなたもどうか、自分自身のままでいてほしい。


この高貴な孤独を共有できる者だけが、nextHomeのカウンターに座る資格を得る。

夜の街で自分を貫くことの孤独と矜持。

僕を包み込んでくれるのは、いつからかこの不変の「黒」なのだ。



正直に言えば、僕は名だたる名店のような、完璧な技術を持つバーテンダーではない。

差し出す酒は、不器用で、洗練とは程遠い「下手くそな酒」かもしれない。

それでも僕はカウンターの中で、その「黒」を纏い、無心に氷を割る。 

デザイナーが一本の線を引くのに何日も迷うように。


「コン、コン」と響く乾いた音は、

どこか僕の不器用さを露呈しているようで気恥ずかしいが、

その一打一打にしか込められない「今」がある。

洗練されたカクテルは作れないかもしれない。 

でも、影を纏い、余計な虚飾を排して、今の僕にできる精一杯をグラスに注ぐ。

その一杯が、僕にとってのデザインの答えだ。 

下手くそなりに、あなたの孤独に寄り添える温度でありたい。

ただ、傲慢なほどに純真にそれだけを願って。


そういえば、中学生でも、変形服。

ズートスーツのように見えるし、YOHJI YAMOTOもボンタンに見えるよな。

大層に書いたけど、いつの時代も、ツッパるには度胸が必要で、

後ろ指立てられても誇らしく素通りなさい。


世間では「孤独」とはネガティブに捉えられるが、「孤独」は「誇り」を持つことによって、やがて研磨され「孤高」となり得るのだと僕は信じている。それは凸凹でいいじゃないか。僕が使う不細工な氷のようだったとしても。


あなたの孤独は、こんな僕でもよく見えてる。




赤の深淵:Cardinal Red(カーディナル・レッド)という名の結界

「黒の純真」を纏った僕が背負うのは、視界のすべてを浸食するような圧倒的な「赤」だ。

nextHomeの扉を開けた瞬間、ゲストを包み込むこの色の正体を、

僕は親しみを込めて「赤ウインナーの色」と呼ぶ。僕はその言葉を微笑んで言うことが多い。

それは、この場所が持つ「気取らない生命力」を肯定してくれる言葉だからだ。


しかし、グラフィックデザイナーとしての僕は、この壁に一筆ごとに、

もっと重厚で、もっと静かな祈りを塗り込めてきた。

それが、「Cardinal Red(枢機卿の赤)」という哲学だ。ああもうしんどい。

でもまぁ…これほどまでに理屈を並べ立てるのは、それだけ必死だったんだよ。



枢機卿の赤に込めた、二面性の哲学

かつて、カトリック教会の最高顧問である枢機卿(Cardinal)が纏ったこの色は、

「いかなる時も信仰のために血を流す覚悟がある」という宣誓を意味していた。

僕がこの空間に配したのは、単なる華やかさや官能の赤ではない。

それは、揺るぎない知性と、控えめなプライドを内包した「覚悟」の色だ。



赤は本来、人を昂揚させ、饒舌にさせる色である。

しかし、彩度をわずかに落とし、黒と茶の成分を絶妙に含ませることで、

この壁は「沈黙を促す赤」へと姿を変える。

表向きにはゲストの緊張を解きほぐす温かな灯火でありながら、

その裏側には、その裏側には、大人たちが自分自身と静かに向き合うための

「落ち着いた結界」としての機能を持たせた。



色彩と光の計算:肌を染める間接光の秘密

デザイナーとして、僕が最も腐心したのは、この空間で最も美しくあるべき存在――

知性的な女性たちの「肌」をいかに美しく見せるかという点だった。

赤という色は、扱いを間違えれば顔色をくすませ、毒々しく見せてしまう。

僕は画面上でシミュレーションを重ねるように、

現実の空間で、壁に降り注ぐ「光」の色温度(ケルビン数)を調整した。

壁面の色調に合わせ、暖色系の光をあえて壁に反射させる。

直接肌を照らすのではなく、Cardinal Redの壁を通過した柔らかな間接光が、

まるで天然のチークのように彼女たちの頬を染めるように。

鏡に映る自分を見たとき、ふと「今日の私は、少し美しい」と感じていただけたなら、それは偶然ではない。

僕や仲間が仕掛けた、最高精度の「色彩設計」の結果なのだ。



ひと筆が染め上げた、救済の壁

この壁は、既製品のクロスを貼っただけのものではない。

僕や仲間が自ら刷毛やローラーを握り、一枚一枚の壁に感情を乗せて塗り上げた、手触りのある赤だ。

その凹凸に、これまで12年の間に吸い込まれてきた数えきれないほどの孤独や、

誰にも言えない秘密、そして再生の言葉が塗り込められている。

赤は不思議だ。熱量が違う。しかし単なる赤(金赤)にしなかった。

僕がこの空間をCardinal Redで染め上げたのは、単なる演出ではない。

日々を戦い抜いたあなたへの、僕からの「静かなエール」であり、

あなたがあなた自身へと還るための、最も深い「受け皿」を用意したかったからだ。

今夜も、この赤の深淵は、あなたの訪れを静かに、そして熱く待ち構えている。

枢機卿の覚悟と…慈愛と懺悔は少々持って。



現代の教会:会員制というシェルターで「鎧」を脱ぐ

大阪、西心斎橋という街は、常に変化し、競争し、戦い続ける人々が交差する戦場だ。

そこには、自分を強く見せるための「鎧」を纏い、神経を研ぎ澄ませて生きる大人たちがいる。

僕がこの大㐂ビルの6階に「nextHome」を創り上げたのは、飲食店を経営するためではない。

ロザリオを身に付けて、牧師さんの様だと言われてハッとしたことがある。

僕はここを、深夜の「現代の教会」にしたかったのではないだろうか。

牧師ではないが、信仰もないが、僕も志野さんも、同志には祈りを捧げている。



営業力ではなく「実力」で立つことの孤独と矜持

僕はデザイナーとして、自ら頭を下げて仕事を獲りに行く「営業力」があるタイプではない。

しかし、その分、生み出すもののクオリティ、

つまり「実力」だけで勝負することに、ある種の狂気にも似た矜持を持っている。

nextHomeのタイポフェイスの「e」のデザインが違うなどというのは、

この12年間、誰が気づいただろうか。

5つのエレメントだけで構成されて、調和を図るために

最後の「e」をデザインするのに、何日費やしただろう。

そういう狂気こそ僕が長年こだわり続けた仕事の一部だ。



世の中は、愛想の良さや要領の良さで回っているように見えることもある。

だが、流行に左右されない本物を作りたいと願うとき、人はどうしても孤独になる。

nextHomeが会員制という形をとっているのは、選民意識からではない。

その「孤独な矜持」を共有し、日常の肩書きや、誰かに強要された「役割」を一度脱ぎ捨ててほしいからだ。

誰にも染まらない黒を纏った僕と、赤の深淵に身を浸したあなたが、カウンターを挟んで対峙する。

そこには、営業スマイルも、薄っぺらなおべっかも必要ない。


ただ、一人の人間としての「個」があるだけだ。



騎士が戦場から戻り、教会の静寂で自分を取り戻すように

かつての中世の騎士たちは、凄惨な戦場から戻ると、教会の冷ややかな静寂の中に身を投じた。

ステンドグラスを通り抜ける光を浴び、重い鉄の鎧を脱ぎ、ようやく一人の人間に還ることができた。

現代を生きる僕たちの鎧は、鉄ではなく、言葉や知識、そして「強くあらねばならない」という呪縛だ。

いや本当に、ご苦労様だと思う。僕も含めてね。

特に知性的で素晴らしい人たちにとって、外の世界はあまりにノイズが多い。

あるいは無作法な言葉の暴力だってある。

僕はこの14席の空間を預かる者として、そのノイズから人たちを守り抜く、

鍵を持つものは出入り自由の「シェルター」をデザイン出来た。

深く塗り重ねられた赤い壁は、外の世界の不浄を遮断する結界だ。

この中では、誰もあなたを傷つけない。誰もあなたを品定めしない。



14席の空間を統べる「ホスピタリティのデザイン」

グラフィックデザインにおいて、最も重要なのは「情報の取捨選択」だ。


何を見せ、何を隠すか。


nextHomeの経営もまた、同じデザインの思考で行われている。

僕がカウンター越しに提供するのは、単なるカクテルではない。

それは「静寂」という名の余白であり、「安全」という名のプライバシーだ。

机で緻密なレイアウトを削り出すように、僕は店内の空気、音の反響、

そして客同士の距離感をデザインしようとする。

あなたがふっと息をつき、グラスの中の氷の音に耳を澄ませるとき。

その瞬間、あなたは自分の内側にある純粋な声を聞いているはずだ。

「現代の教会」とは、自分を許す場所だ。または懺悔も結構だ。

不器用な僕が、同じように不器用で、しかし誇り高く生きるあなたのために用意した場所だ。

今夜も僕は、黒いジャケットに袖を通し、その聖域を清めて待っている。

重い鎧は、扉の向こうに置いてきてほしい。



トレンドを追うな、自分を研ぎ澄ませ

現代は、流行という名の「透明な制服」に身を包むことが推奨される時代だ。

だが、僕はあえてあなたに言いたい。「トレンドを追うな、自分を研ぎ澄ませ」と。

昔、雑誌の取材でこう答えたことがある。


「おしゃれな人は増えたけど、粋な人が減りましたね」

20年以上も前のことだ。


nextHomeという場所は、僕が一方的に酒を提供する場でも、

あなたがただ消費するためだけの場でもない。

用意した「赤の深淵」と「黒の純真」という舞台の上で、

あなたと共に夜の密度を深めていく、実験場なのだ。

僕が描く理想の夜に、大勢の観客はいらない。

そのわずかな人数でも、それぞれの戦場から持ち寄った

「知性」と「静寂」または「笑顔」「哀愁」が重なり合ったとき、

この9坪の空間は初めて完成したと錯覚するような瞬間を迎える。



この美学を共に創り上げる「共犯者」への招待状

もし、あなたが日々の生活の中で「自分を何色に染めればいいのか」と迷うことがあるなら、

いっそ、すべてを混ぜ合わせた「黒」を選んでみてはどうだろうか。

誰の色にも染まらず、ただ自分という存在を深く、濃く、研ぎ澄ませていくこと。

実際に黒を着なくてもいいけどもさ。


僕は、理解しようとしない100人に媚びるよりも、

この「赤と黒」の物語に共鳴してくれる、唯一無二の「あなた」を待ちたい。

僕は、こだわりを押し付けるつもりはない。

ただ、この物語に波長の合う「あなた」を待ちたい。


自分自身の心地よさを再発見する、静かな時間の共有。

その価値を分かち合える方が、この場所の「鍵」を持っているのだと思う。

社会が押し付けてくる「正しさ」や「賑やかさ」という嘘を一度忘れ、

この扉の向こう側で、剥き出しの真実だけを語り合う。

その覚悟がある人だけが、この会員制という名の鍵を手にする資格がある。

そういう幼稚にも思える場所があっていいじゃないか。



終わりのない、共創するnextHomeの完成形へ

本当のことを言うと、nextHomeは永遠に完成しない。

あなたが訪れるたびに、新しい対話が生まれ、新しい影が落ち、

この「赤」はより深く、「黒」はより純粋に磨かれていく。

夜が明け、西心斎橋に朝の光が差し込むまで、僕は表現を続けよう。

nextHomeのカウンターで、あるいは画面の前で、「黒」を貫きながら。



もし、あなたがこの長いブログを読み終え、胸の奥に静かな火が灯ったのなら。

迷わず、ビルの六階へ、エレベーターを走らせてほしい。

扉の向こうで、いつものように黒を纏い、あなたが席に着く瞬間を待っている。 


なぜならそこには、僕たちの「誇り」という名の、温かな血が通っているのだから。

僕が12年、そして50年という歳月をかけて見つけた、 

不自由な、しかし誰よりも自由な生き方の記録である。

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