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  • 執筆者の写真nextform じゅんや

最愛の人(4/5)

更新日:2020年3月11日


巨人の嘘


政治家は、人望があるから票が入り、 医者は、人一倍の博愛心を持ち、 弁護士は、正義満ちあふれ、 恩を忘れず、信頼できる人が溢れ 嘲笑うとは、辞書の中、 裏切りとか、憎しみは、TVの中だけ存在し、 支え合うこそが、人である。 というのは、まったくの嘘だったよ。 お婆ちゃん。貴方は嘘つきです。 口先だけの詭弁が溢れ、優しさを高価で買い取らせる。 付かず離れずの希薄なポジションが良しとされ しがらみだという言い訳なんかも存在する。

賢い者は、マウンティング取りたいことに徒労して、

ルサンチマンやシャーデンフロイデを制御できない、

いい大人が蔓延している。

誰かの引用だけで装備された浅学理論武装して、

インテリを纏うのに精一杯で自分は評価される位置には立ちたくない

腰抜けの大人も蔓延している。 貴方から教えて貰った戦争さえ、ホントは大好きなんじゃないのかと 思う事だってあります。 本来、生きる術を教育するのならば、 逆を教育するのではなかろうか。

まるで性善説だったじゃないか。 子供を世の中に放つ時に向けて、 武装させないといけないのではなかろうか。 なぜ嘘をついたのだ。ホントは暴いていたはずなのに。 ハッキリ言って、 僕は、祖母の死を、乗り越えれたかどうかわからない。 彼女が死んで、数年経っている。 よくある話である。 いわゆる祖母が亡くなった。 誰にでも訪れるであろう話である。 祖母が亡くなってから 祖父は、どんどん老いていっている。 同じようにボケてきて 一人で外出も出来なくなってきている。 私達は、田舎から出てきて お正月であったりお盆に帰省する機会がある。 年に2回。 一度、勘定してみると良い。 家族と何回会う事ができるのか。

 

「お婆ちゃん。絢也やで。痛いか?」 この事態にどう語りかけて良いか分からず、僕はこう質問した。 「痛ないよ」 祖母は見上げながらニッコリ微笑んだ。 続けて、祖父が同じ事を聞いた。 「悦代。痛いか?」 全く同じ質問だ。 僕と同様に、祖父もどう語りかけて良いか分からなかったのかもしれない。 すると、自分の視野に祖父が映ったのを確認したのだろうか、 少し力が抜けたような感じでこう答えた。 「痛い」 先人とは、「死ぬ」という事も教えてくれる。 死ぬ間際、彼女が孫に言った台詞は、 心配させまいとする嘘だった。 命がスレスレで消えようとする人間が 僕を気遣う台詞だった。 なんと巨大な人だったんだろう。 僕たちは、血の繋がっていない 偽物の家族だったのかもしれない。 しかし、彼女は死ぬまで、祖母を演じきってくれた。 そして、僕は孫として愛された。 最愛の人、森下悦代。

私の母の大恩人であり、最愛の人。 血の繋がっていない私の祖母である。

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