top of page
bar nextHome osaka
  • 執筆者の写真nextform じゅんや

最愛の人(5/5)

更新日:2020年3月11日


僕が解である

僕は、一人で行く場所がある。 酒場や職場じゃなくて、僕にとって特別な場所。 天王寺動物園と立ち食い蕎麦屋と回転寿司屋だ。 ここまで読んで下さった方には、 なんとなく分かってもらえるだろう。

SNSなどで書いて、 孤独な奴だな。とか、暇人め。とか 奇天烈な変人の様にうつったかもしれない。

その不思議な執着の謎も解けただろう。 人は、思い出の中で佇む事は許されており、 またそれは甘美でもあります。 その場所で、 空気に頭を下げる事、 独り言を言う事、 僕にとっては、とても大事な時間です。 そして、僕は、 この人に報告出来ない様な事は、 してはいけないなと、思ってから帰るのです。 不妊治療を受けている人と会う機会がある。 不妊治療とは、とてもつらいモノらしい。 女性としての特性は子供を産める事らしい。 ではそれを聞く、産めない女性はどう聞こえるのだろう。 また、産めないのなら、その人の値打ちが上がったり下がったりするのだろうか。 僕にはそういった物差しで測る事は出来ない。 人には僕が、何か感情が欠落してるとさえ思えるかもしれない。 僕は逆に、自分で加算されていると思っている。 ある詩人は言う、恒久的な欠落を愛してこその幸せだ。 それを理解できる能力を得ているからだ。 それは君が子供を得ていないからだとか。 結婚もしていないのにだとか。 血の繋がっている子供を見るとだとか。 大いに結構。 しかし、僕にそれを吐くなら 血縁者が貴方自身の思い出の中で佇み、 またそれは甘美な記憶だと証拠になる物を示して貰いたい。

人が人であるのには、私達の中にしかなく、侵害されてはいけない場所を心と呼びます。

それよりも血縁がそんなに大事か、この獣共が。 市役所には、里親制度のリーフレットが並んでいる。 母が貰われた時より、より柔軟にシステマチックになっているに違いない。 僕が言いたい事は「そういう選択肢もある」ということだ。 勿論、当人達にお任せする。 血が繋がっていないと。 そういう考えもぶつかる喚問の1つだろう。

僕の様に、心とは!と申し上げるのもまた諦めも内包されているように映るかもしれないし、

提案もいささか間違っている部分もあると思う。 大きい喚問だというのも、そうは言いながら、僕は理解しているつもりだが、 僕は、血の繋がっていない祖父祖母を愛し、愛されたと証明がある。

あなたは、血が繋がっていなければ、僕と祖母のような関係を作る自信はありませんか。

僕は、答えを一つ得ている。

僕の存在とこの文章が、この難問の解だ。

閲覧数:67回

最新記事

すべて表示
bottom of page